心の準備をしようと、毒親関係の本を少し読んでみた。
わたしの母は毒親というほどでもないと思っているけれど、わかる~という点も多い。
体験談のコミックエッセイは、読んでいて本当にむしゃくしゃとする。
産休中は暇で色んな本や漫画を読んだ。家族の話や先生と生徒の話も中にはある。
親子関係に限らず思うのは、
「大人は子供より絶大な力を持っている。それを自覚すべきだ。」
ということ。
お金を稼ぐ力、生活する力、社会に認められているという立場。
その力を、自分より弱く抵抗できない子供に振りかざすことはどうあっても悪である。
毒親エピソードでよくある、母の「じゃあもうご飯作らないからね」という言葉。
母親にしてみれば、自分の思い通りにいかない子供に対してどうしていつも自分ばかりが尽くさなければならないのか、という気持ちにもなるんだろう。
でも、子供にしてみれば自分でご飯を用意する手段を持っていなかったり、わからなかったり、お金を持っていなかったりする。
そんな風に言われれば身体的にも苦しい状況に追い込まれる。
そんな環境を作り出して、子供をコントロールしようとする大人の思惑がある。
わたしの家でもしばしば使われた「もうご飯作らない」「もう知らない」「もうやらない」作戦。
結構家庭でよくあることだとも思うけれど、結局その裏では、コントロールしたいという大人のエゴがあるんではなかろうか。
その言葉を使うなら、代替する手段を相手に与えなければ対等ではないと思う。
例えば、お金を渡して自分で買ってこさせるとか、やり方を教えるとか、父親に頼むとか。
昔、授業で母親と手紙を送りあうというものがあった。
わたしが母から受け取った手紙には、中学生のころに友達をケガさせてしまったことを責める内容が書かれていた。
普通、そういうイベント事でそんなことを書くだろうか。
母が子供をわざと傷つけるために、「あんたなんか産まなきゃよかった」という言葉。
こうした言葉もしばしば体験談で見る。
子供と親はどうあっても縁深い。
故に、わざと傷つく言葉を大人が選べば、子供の心に大きな傷をつけることになる。
子供は賢く、その言葉の裏にある大人の思惑に気づくこともあるだろう。
それでもなお―その言葉の裏の「ただ傷つけたいために言っている」という意図をわかっていてもなお―深く深く傷つかずにはいられない。
どうあっても、子と親であるから。
子供の心にわざと刃を突き立てる親とは、なんて罪深いんだろう。
おわり