育児のゴール

息子はもうすぐ生後3ケ月になる。

最近手がかかるようになってきた。

成長して感情が出てきたらしく、好き嫌いが芽生えた。

哺乳瓶は嫌い、母乳が好き。

おなかをいっぱいにすることより、目の前のことに夢中だったり、小腹を満たして気持ちよくウトウトしたかったり。

ずっとグズグズを繰り返す日もある。

そんな息子と1対1で家にいると、わたしもしんどくなってくる。

赤ちゃんに対してイラついても仕方がないのに、イライラしたり、投げやりになったり。

感情に振り回されて息子に「もう!」と言っちゃうのは、

人間なり立ての赤ちゃんに何か幻想めいた期待を寄せているからなのだろうか。

 

自分なりに出産前から色々育児の本を読んで、我が家の育児ルールを決めていた。

寝かしつけは何時にしよう、お散歩はできるだけ行った方がいい、目を見てたくさん話しかけてあげよう―――。

しかし、育児の情報収集もかねてSNSをしていると、いろんな人の育児生活が見えてくる。

絵本を毎日読み聞かせしている人、いつもお散歩に連れて行ってあげる人、

子供よりも自分の趣味や家事を優先する人、テレビをずっと見ている人、

テレビは発育に悪いと消している人、19時にはもう寝かしつけする人、

自分の生活リズムに合わせて0時に寝かしつけをする人。

それぞれの家庭にはそれぞれの育児があって、それと自分の育児を比較してしまうと

合う合わないが出てきて結構ストレスだったりする。

最近はあまりSNSを見ないようにしている。

 

私もできる限りのことを息子にしてあげたいと思うし、そう努力しているつもりだけど

しんどい日はイライラしてその気持ちが息子に伝わってしまう。

そんな日は肩の力を抜いて自分のことも甘やかして息子と向き合った方がいいんだろう。

 

「息子のためには」「こうしたほうが息子に良い」色々考えながらやっているけど

それって結局本人の基準次第であることが多すぎる。

子の幸せは子が何にどう幸せを感じるかだし、「子のために」と思っても子が何を望むのかはわからない。

結局親が勝手に空想して期待してあれこれ世話焼いて自己満足しているだけなんだろう。

そういうあいまいなものを目的に育児してしまうのも、なんだか気持ちが悪い。

育児のゴール設定って、いったい何がいいんだろう。

子供にとって、だけでなく「自分のため」にもなるゴール。

毎日の育児を私はどう終わりたいのか。

 

ああ、今日も1日私は頑張った。よくやれた。

今日も息子はかわいかった。大切だなあ。

 

そんな気持ちで息子の寝顔を見ながら床に就く。

そんな1日の終わりをゴールにしたい。

母襲来、愚痴。

約1ヶ月ぶりに母が来た。

旅行に行く中継地点として泊まりたいらしい。

ろくな連絡もなく、到着時間も知らせず

当然のチャイム。非常識。

 

あんな形で我が家を最悪な空気にしていきながらよく顔を出せたもんだなぁ。

厚顔無恥とはまさにこのこと。

最後はお互いバラバラに生活して

ほとんど話すことも無かったし、

その延長線で我々は無視を決めこんでいたら

「『晩ごはんどうするの?』の一言もないんだから」

「夜子はそんな感性だもんな、ダメだ、○○ちゃん(親戚の看護師)みたいな仕事はできないな」

 

いや、あなたの評価やモノサシなんてどうでもいいですから。

私は全然ダメじゃないです。

 

どうぞお引き取りを。

ていうかあんた散々こっちを振り回しておいて都合いいときだけ気を使えって何様だよ。

 

そういう言葉を、何もわからない純真無垢な自分の息子にかけられたらたまったもんじゃない。

もう会わせたくないね、うん。

さようなら。

母との同居

飛ぶように毎日が過ぎた。

1日があっという間に終わる。

息子はそこまで手がかからないほうだと思う。

ぐずることはもちろんあるけど、夫と二人でお世話しているからそんなに苦じゃない。

 

息子の世話は夫婦二人でしている。

母は全く関与せず。

あくまで私たちの食事のサポートだけをしてくれている。

つまり、食事の買い出し、料理、皿洗いなど。

確かに助けになっているし、ありがたいことだ。

 

しかし、とうとう二人とも限界が来た。

もう一緒に生活するのは耐えられない、と。

菩薩のように寛大な夫でさえ、精神的に参ってしまって

「夜子ちゃんのお母さんだから悪く言いたくないけど、

 思ったよりきつかったな。

 仕事でもいろんな人と関わってるからどんな人でもやっていけると思ってたけど

 あの人は難しい。いい勉強になったよ…。」

と言ってしまう始末。

 

買い出ししてくれて料理作ってくれて皿も洗ってくれる。

しかもこちらがお金を払うんじゃなくて、少しお金を出してくれる。

何それ最高じゃん。めっちゃ助かるじゃん。ずっといてほしいんじゃないの?

と思いきや、まさかの「それも要らないから帰ってほしい」レベル。

 

そのくらい、言動がひどいのだ。

とにかく攻撃的、高圧的、感情的。

 

人に何かしてほしいとき、どうするか。

夫だったら、言葉にする。どういう理由で、何をどうしてほしいか。

落ち着いて言葉にする。理性的に対話する。すり合わせる。

母の場合、そういう時はまず「怒る」。

怒りを表情、声、体全体で前面に出して言葉にする。

その言葉や内容には大した意味はなく、「私は怒っている」というアピールのほうが重要で、それを振りかざして人の行動をコントロールしようとする。

私は怒っている。だから私の言うことに従え。そんな感じ。

そこには相手と対話しようとか、相手と対等にコミュニケーションをとろうという気持ちはない。

そして残念ながら、言葉にする前に母の中で何が正しいかは決まっていて、少しも疑わない。

母の考えが絶対的に正しくて、相手がどう行動するのが正しいのかも決めつけている。

母が善、従わないのは悪。自分が正しい、異論を唱える者は間違っている、バカ。

 

当たり前のようにそうやって感情的な言葉で行動をコントロールしてこようとする母に、私は拒絶反応で同レベルに迎え撃とうとしてしまうし、夫もさすがにイライラして新生児のお世話と相まって精神的にすり減った。

さも自分が正しく相手の意見を聞かない姿勢でずっと生活され、

私たち自身やその生活を否定され、批判され、バカにされ、

忙しく新生児の世話をしている中母ひとりだけ茶を飲みスマホをいじりテレビを大音量で見続けられ、

でかいローン組んで建てたお気に入りの注文住宅にケチをつけられ、

雑に扱われ、傷をつけられ、汚され、

勝手に息子や授乳中の写真を撮られ親戚に拡散され。

 

まあ色々とあったんだけど、それらを通して夫婦の意見は一致。

「自分たちの食事とか正直適当でいいし、

 居ない方がマシだからさっさと帰ってもらおうぜ。」

 

母は思っていることだろう。

「こんなに尽くしてやっているのにこの仕打ち。なんて恩知らずな。」

私も、表面上だけ見たらそう思う。

しかし当事者にしかわからない、「それでもなお居ない方がマシだと思うほどの苦痛」があるのだ。

 

きっと母は実家に帰ったら私たち夫婦の悪口を親戚や友達、手あたり次第に言いまくるのだろう。

私もかつては同じように父の愚痴を聞かされた。

しかし今ならよくわかる。

どちらか一方の言い分を聞くだけじゃ何もわからない。都合のいい解釈だけだから。

母の話だけを聞いて賛同していたかつての私は、本当に愚かだったと思う。

なので、言いたいならどうぞ言いやがれ、それで判断されるならば

その愚かな人たちとは今後付き合わないだけのことだ。

幸いなことに私の実家は遠いので、息子を理由に当分地元には帰らないだろう。

自分の親類とは遠ざかっていくばかりだ。

 

今回の母の件で、一番精神的にきつかったのは、

母の悪いところを散々目の当たりにして、そしてそれは自分にも共通しているということを思い知らされたところだ。

母のことを嫌悪するのと同じだけ、自分も似たような言動をとってしまうことに気が付いて、自分自身が嫌いでたまらなくなる。

 

その先の未来は孤独だ。

母は父とは家庭内別居。子供たちとも仲がいいとは言えない。

私とも絶縁になったら老後どうするのだろう。

友達や親戚に頼る未来だろうか。

彼らはいつかの将来老人ホームに入った彼女に面会に行くのだろうか。

嫌われる人間とは、そういうことだ。

 

私はそうならないようにしたい。あんな人と似ているなんて嫌だ。

夫のことも大切にしたい。息子が生まれ、新しい家族の形がこれからできていく。

そんな大切な時だからこそ、ちゃんと自分の身の振り方を改めねばならない。

まずは言動から。夫への言葉や態度から。

いつまでも母の呪いに縛られないように、自分で自分をコントロールしなければ。

出産した

子供を産んだ。

痛みから逃れるため10万ほど課金して、

麻酔を使った無痛分娩で産んだ。

おかげさまで出産自体は「こんなもんなんだ」くらいのイージーモードで終えられた。

よく聞く壮絶なお産からはかけ離れた、

とても穏やかでまどろんだ出産だったので

もっと大変な思いをして産まなくて良かったのか?という気持ちが1ミリくらい無くもないが、

この出産なら2人目もまた考えられる。

 

子宮口はいい具合に開いてくれたのでバルーンを入れることもなく、

陣痛も自然に波は来てくれたのでそれを少し強めるくらいの陣痛促進剤。

それが効き始めて本格的に痛くなってきてからは3時間だけ痛みに耐えた。

そこからは麻酔を入れて痛みが全く無くなり、

なんとなく感覚で子宮が膨らんだり縮んだり(陣痛)してるなぁと感じるだけ。

3時間の陣痛でも体力消費したのか、

うとうととまどろみながら子宮口が全開になるまで待ち

全開になったら少し麻酔を弱めていきんで産んだ。

お産の間、夫と行った旅行を色々思い返していた。

今度は2人じゃなくて3人で行くんだなぁと未来を想像して、それもまたいいな、と考えて。

そんな風に現実逃避していた私より、おそらく我が子の方が頑張って生まれようとしてた気がする。

 

自分の股の間から出てきた我が子は、ぐちょぐちょに濡れてて血もついててグロテスクな色合いで、頑張って産道を通ったせいで頭も歪な形だった。

ウワ!全然かわいくない!と思っちゃった私はダメな母親でしょうか。

もっと感動するかと思ったけどそんなこともなく、淡々と赤ちゃんを観察し「泣き声でかいなぁ」「あの頭の形治るかなぁ」とか思いながらスマホで夫に産まれたとLINEする私。

その後赤ちゃんを抱きながら夫とテレビ電話した。

赤ちゃんの血生臭さが気になっている私より、画面の向こうで涙ぐんでいる夫の方が遥かに真っ当に親らしく感動していた。

 

お股はだいぶ裂けたので、分娩は無痛でも

その後は地獄だった。

股はヤバいほど痛いし血は出てるし後陣痛で下腹部がキリキリと痛む。熱もある。

そんな中未知の生命体アカチャンと同室にさせられさっそくお世話をさせられる。

スパルタだ。母乳の指導も入り乳首を吸わせて痛みに悶絶した。

一瞬で「もう母乳じゃなくて良くない?完全ミルクで良くない?」と思っちゃった。

母乳出すのってこんなに大変なんかい。聞いてないぞ。

数日間涙ぐみながら乳首を鍛え、なんとか母乳を与えるのも慣れたけど。

助産師さんのスパルタ指導と、「NO」が言えない性格が幸いしたようだ。

なんだかんだで流されて頑張った。

 

母乳さえ何とかなれば、あとはオムツやミルクはイージーだったので(まぁオムツ大変なときもあるけど暴れるだけでこっちが痛いわけでも死ぬわけでもないしね!)お世話も出来そうだと安心。

2日目くらいから少しずつ我が子もかわいく思えてきて、5日目にはかわいいかわいいと写真撮りまくり。

あとは早くシャバに出て日常生活に戻りたい!家帰りたい!夫に赤ちゃん会わせたい!とひたすら退院を心待ち。

 

しかし出産から10日以上経つ今、

いまだに私は入院している。ひとりで。

 

まさかこんなことになるとは。

産褥熱が引かず抗生剤が効かないため大きい病院に転院になった。

赤ちゃんは外部環境通っちゃうと新生児室入れないとかで連れて行くことはできず、

産院で引き続き預かってもらうか赤ちゃんだけ退院するかの2択。

夫が「生まれて数日でもこんなに毎日成長してるのにそれが見れないのは辛い」と言ったので退院にした。

実母召喚で夫と二人体制。心配すぎる。主に実母が。

 

案の定実母は既に夫と私をイラつかせ始めているが、何分私も入院しているので頼らざるを得ない。

一刻も早く退院して息子と夫と3人生活送りたい。(実母の存在は頭から消去)

それまで母もまともにお世話してくれますように。悪影響与えませんように。

ああ心配。とても心配。早く退院したい。

 

 

おわり

友人の相談

昨日は友人からの相談ごとで連絡を取り合っていた。

 

どうやら同棲している彼氏が浮気をしているから別れようと思っているとのこと。

浮気癖がありこれまで何度も繰り返しているが今回は相手も結構本気らしく

もう心変わりはあきらめるらしい。

聞けば、友人との関係の始まりも浮気からだそうだ。

浮気して女性と同棲するのを繰り返している常習犯。

経済的にも不安定で同棲の生活費は友人が結構負担しているらしい。

そんな中での浮気。本当にクソ野郎だと思う。

 

友人も浮気スタートなのがもうなんとも言えないけど…

いるんだなあ、そんなやつ。と驚いた。

確かに世の中には不誠実な奴がいるもんだけど、実際に身の回りで遭遇した訳じゃないから現実味がなかった。

 

 

以前似た友人からの相談では、

彼氏に遊んでできた借金があって経済的にも不安定。

同棲してるけど私のほうが稼いでいて借金返済の手伝いしてる。

貯金がどんどん減っていく。

不安だから同棲解消して実家帰ると提案したら別れるといわれた。

別れたくない。結婚も考えているほど好きだ。とのこと。

 

聞いたときは一体なんの冗談かと思った。

金銭面がだらしない男となぜ財布を共有しているの?

なぜそんな状況で結婚なんてワードが出せるの?

なぜ相手の借金がもとで同棲解消しようって話が出てるのに別れで脅してくるクソ野郎を好きだと言えるの?

 

先の友人の話もこの友人の話も、聞いていて「おいおいおい…」とならざるを得なかった。

自分のこともっと大切にしてほしい。

愛がほしいのかもしれないけど、そんなやつから与えられるのは愛なんかじゃない。

もっと自分で自分のこと愛せ。

 

まず、騙されてでもいない限りそんな人と好き好んで関わろうと思わない。

尊敬できない生き方をしている人間とはいい関係を築けない。

友人としてでも一緒にいたらこっちまでズルズル引きずられたり、

話を聞いてるだけでいやな気持になりそう。

 

好きあって付き合っていたとしても、借金や浮気が発覚したらすぐさま距離をとると思うんだけど…。

少なくともそんな男に自分を犠牲にしたり搾取を許したりなんてしたくない。

 

結局2つ目のエピソードの友人は、同棲を続けて子供を授かり入籍した。

金銭面の問題解決していないままの授かり婚で、なんとも手放しでは祝福しがたい…。

(てかなんで借金あって仕事も不安定なのに避妊しないの?)

赤ちゃんを授かったことを機に心を入れ替えて職を変えてバリバリ働き始めたらしく最初は幸せそうだったけど、その後しばらくしてから陰鬱なツイートが流れてきていたから「大丈夫か?」という感じ。

変わろうとすることはいいこと。応援したい。

ただなかなか性根は変わらなかったり、最初頑張れてもすぐ疲れてくじけてしまったり。

彼女の夫はどうなんだろう。もう見守るしかないけど。

でも結局、彼女が選んだ選択肢の先の未来は彼女が甘んじて受け入れるしかないんだろう。

 

この先、2人の友人が自分の不幸を嘆いたとしても

わたしには自分からそこに飛び込んでいったようにしか思えない。

自分の幸せはぜひ自分で守ってほしい。もっと自己中心的に生きてほしい。

自分を不幸にするダメな男はしっかり自分で損切りしよう。

そんな男いなくても幸せになれるよ。素敵なところいっぱいあるんだから。

そして女性から搾取したクソ野郎どもは痛い目を見ろ。

 

なーんて、言うだけなら簡単なんだけどね。

わたしも夫が実は…なんてことがあったらどうなるんだろう。

想像もつかないな。

でも、そんな未来があるとしたら その時の私に望むのは

自分の心と自分の幸せを第一に守ってほしいということ。

 

 

おわり

親と子の関係

心の準備をしようと、毒親関係の本を少し読んでみた。

わたしの母は毒親というほどでもないと思っているけれど、わかる~という点も多い。

体験談のコミックエッセイは、読んでいて本当にむしゃくしゃとする。

産休中は暇で色んな本や漫画を読んだ。家族の話や先生と生徒の話も中にはある。

 

親子関係に限らず思うのは、

「大人は子供より絶大な力を持っている。それを自覚すべきだ。」

ということ。

 

お金を稼ぐ力、生活する力、社会に認められているという立場。

その力を、自分より弱く抵抗できない子供に振りかざすことはどうあっても悪である。

 

毒親エピソードでよくある、母の「じゃあもうご飯作らないからね」という言葉。

母親にしてみれば、自分の思い通りにいかない子供に対してどうしていつも自分ばかりが尽くさなければならないのか、という気持ちにもなるんだろう。

でも、子供にしてみれば自分でご飯を用意する手段を持っていなかったり、わからなかったり、お金を持っていなかったりする。

そんな風に言われれば身体的にも苦しい状況に追い込まれる。

そんな環境を作り出して、子供をコントロールしようとする大人の思惑がある。

 

わたしの家でもしばしば使われた「もうご飯作らない」「もう知らない」「もうやらない」作戦。

結構家庭でよくあることだとも思うけれど、結局その裏では、コントロールしたいという大人のエゴがあるんではなかろうか。

その言葉を使うなら、代替する手段を相手に与えなければ対等ではないと思う。

例えば、お金を渡して自分で買ってこさせるとか、やり方を教えるとか、父親に頼むとか。

 

 

昔、授業で母親と手紙を送りあうというものがあった。

わたしが母から受け取った手紙には、中学生のころに友達をケガさせてしまったことを責める内容が書かれていた。

普通、そういうイベント事でそんなことを書くだろうか。

 

母が子供をわざと傷つけるために、「あんたなんか産まなきゃよかった」という言葉。

こうした言葉もしばしば体験談で見る。

 

子供と親はどうあっても縁深い。

故に、わざと傷つく言葉を大人が選べば、子供の心に大きな傷をつけることになる。

子供は賢く、その言葉の裏にある大人の思惑に気づくこともあるだろう。

それでもなお―その言葉の裏の「ただ傷つけたいために言っている」という意図をわかっていてもなお―深く深く傷つかずにはいられない。

どうあっても、子と親であるから。

子供の心にわざと刃を突き立てる親とは、なんて罪深いんだろう。

 

 

おわり

母の電話

計画分娩の日程が決まり、入退院のスケジュールを母にLINEで伝えたら

その場は了解のスタンプのみの返答だったが翌朝電話がかかってきた。

 

どうやら退院してすぐにこちらに来るらしい。

夫と二人で赤ちゃんを迎え、試行錯誤しながら家族三人水入らずの時間を…と思わなくもない。

一方で、自分の体調や素人二人での赤ちゃんの世話が不安でもある。

「来ないでほしい」と思う一方で「でも断ったら…」「二人で見てる間に何かあったら…」とも思う。

 

母はいつも唐突に電話をよこす。

いつも午前中横になっているときや朝ごはんを食べているときにかかってくる。

母の口調がとても不快なので、できるだけ早く切ろうと心掛けているし

こちらもイラつきたくないので淡々と感情的にならないようにしているものの

それでも母は気に食わないらしい。

 

近頃電話が増えて気づいたのは、母には人を馬鹿にしたような鼻を鳴らす癖があるということ。

馬鹿にされるようなことも無いのに、よく母は不満げに鼻をならす。

そうでもしないとまるで虚勢を張れないかのように。

兄夫婦の愚痴を話す時も、不満げに「全く何を考えているんだか(ハンッ)」と。

話を聞いていると、兄夫婦は兄夫婦で考えて選択しているのだろうと思うが

母にとっては自分と違う考えは受け入れがたいらしい。

 

実家では、母と父は共働きで母もそれなりに稼いでいて

働きながら子供3人育てていた。家事は父も手伝っていたけれど、母中心。

家のことを手中にしている母にはそれなりに発言力があって、家の中心にいるようでもあったけれど

父のほうが頭がよくて頼りになる、母は感情的、という空気感があった。

この鼻をならす癖は、母なりに自分のプライドと立場を守り子供たちを支配下に置き、

自分のほうが偉いということをアピールするための方法だったのかもしれない。

 

結果、今の母は家庭内別居で父とは不仲

老後に始めた習い事では周りに嫌われやめる羽目になり

子供たちからは呆れた目で見られながらある程度の距離感を保たれているけれど。

なんだかまるで母のほうが我慢の利かない子供のようだ。

 

それでも母であるだけに切っても切れない仲だと思うし

なんだかんだで世話を焼いたり関わろうとする母を無下にできない子供たちである。

 

 

おわり